5. メルセデスベンツ190E 1985年-1993年

メルセデスベンツ190Eです。
父が10年所有していました(190E2.6ですが)

 

当時エアバックもABSも設定している日本車がない時代に、運転席のみのエアバックとABSのオプションが55万円くらいした記憶があります。

 

当時はシーマⅠが爆発的に売れて、それこそ社会現象にまでなり、フル装備500万円くらいのシーマが飛ぶように売れていたまさにその時に、500万以上出してシーマより装備の劣る、そしてシーマより小さいこの190Eを買った父を、親戚のおじさんが

「シーマをかわずに子ベンツを買うなんて、車の事を知らないのですね。でも気に入っていたのならそれが一番ですよ」

と、なんだか慰めてくれていました。

 

シーマは3年もしないうちに陳腐化しましたが、190Eを所有して7年目か8年目の時に家族でガソリンスタンドに入ったら、

「良い車をお乗りですね。しかもとてもきれいに大事に乗っておられますね」

とガソリンスタンドのお兄さんが声をかけてくれて、家族全員、ご満悦でした。

 

結局10年10万キロでトルコンの故障で、新品部品での修理で70万円、リビルト部品での修理で30万円の修理費の見積もりが出て、泣く泣く売却しました。
その時の売値が不動の状態のままで40-50万円だったような記憶があります。

 

 

小ネタ

 

ここから小ネタです。
小ネタといっても完全実話ですが。

父が

「一生に一度の贅沢でベンツが欲しい」

と言って、当時の唯一の正規代理店のヤ△セに家族でゆきました。

 

当時、我が家には、おじさん(先ほど登場の「車のことを知らないのですね」って言った人)からもらった10年落ちのボロボロのスプリンター一台だけだったので、それに家族4人(次男は確かその場にいなかった)乗って、ディーラーに出かけました。

 

ディーラーについても、もちろんお出迎えはなく、

「ここかな?」

と、それらしいスペースに車を置いて、家族でショールームに入りました。

 

受付のお姉さんが

「いらっしゃいませ」

と顔を上げずに小さい声であいさつをしてくれました。

 

この辺りはまだ平和でしたが、その後家族でショールームをいろいろ見て、そのあと

「あの~、子ベンツが欲しいのですが」
「はいはい、必要でしたらおっしゃってください」
「買いたいので見積もりをください」
「はい、いつでもおっしゃってください」

といって、結局最後まで見積もりはおろかカタログもくれませんでした。

 

 

その夜はお通夜でした。
当時一人暮らしをしていた兄も、その夜は一緒に自宅で食事をしましたが、食事のときに

「うちの子(スプリンター)まだまだ乗れるから、大事にしましょう」と母が一言。

その声が遠くで聞こえて、なぜだか少しだけ涙が出ました。

 

結局知り合いの人が口利きしてくれて、そのディーラーが試乗車を持ってきてくれましたが、父は怖がって

「助手席で試乗させてください」

と言いました。

 

私は後部座席に乗って、発車前にドアロックをしないといけないと思って、ドアロックを押しました。
すると、棒状のスイッチが全部引っ込んでしまい、必死で爪をかけて引き出そうとしてもだめでした。

 

そこからもう、地獄の試乗です。
だって、ドアロックを壊してしまったのですから。

 

試乗が終わって、降りるときに、

「すみません、ロックを壊しました。下まで降りて、上がってきません」

と謝りました。

 

「ああ、ドアノブを引いたら大丈夫ですよ」

 

な、な、な~んと。
緊張のあまり、乗り心地なんて全く覚えていないさんざんな試乗でした。

 

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トミカリミテッドヴィンテージ TLV-N77b メルセデス ベンツ190E (紺) 91年 完成品

 

 

ところで、この190Eは、数年前、メルセデス本社が、現存するオリジナルパーツのみを使って、一台を完全レストアして、その様子をアップしていました。コストは500万くらいかかったのでしたっけ?

当時バブル全盛だった日本では、「子ベンツ」と言って若干揶揄されていた印象もありますが、メルセデスにとっても妥協のない特別な車だったのではないでしょうか。

 

 

私が億万長者になったら、親類の集まる法事の出席用に、2台購入します。